昨日の静さんのコメントを受けて。
昨日の日記に言葉足らずの面もあったようですし、オレのこのブログを書くにあたってのちょっとした心構えのようなモノも書いているので、ダラダラと長くなってしまいましたがお暇な方はお付き合い下さい。


まずはジダンの件。事例は違えどジダン加護亜依がスポットライトの当たる場でファンに多くの感動を与えていたコトは同じです。だからこそファンは彼らを愛していたのだと思います。
しかしながら愛すべき対象の過ちに対するファンの反応は極端に違いました。
多くのジダンファン(サッカーファン)はたくさんの感動を与えてくれた彼の過ちを黙って受け入れた上で、彼の味方になり、彼をかばっています。ましてや「裏切られた」などというコトを言う人は見かけません。
ですが加護亜依ハロプロ)ファンはどうだったでしょう。
オレには彼女の過ちを黙って受け入れるどころか「社会正義」に迎合する為に、あえてその過ちを声高に「罪」「悪」と言い放ち、彼女の味方になるコトを放棄してしまった人が多くいたような気がしてなりません。
オレにとってジダンの一件は「ファンっていったい?」といったコトを考えさせられる点では共通の事例であったので、昨日の日記で取り上げてみました。


あとオレはあえて「みんなの賛同を得られる」文章を書くような気はありません。って言うか書けません。
ブログという性質上その先に読み手が存在している事は十分承知しています。ですがその読み手の反応を気にしてしまうと、読み手の顔色を伺ったような自分の本心をねじ曲げしまった文章を書いてしまう恐れがありますし、それは書き手として本意ではありません。
2月のあの一件についてオレは「大好きな人を目の前から失った当事者」の立場から多くのコトをウダウダ書いてきましたが、残念ながらそれらの文章は「みんなの賛同を得られる」文章ではありませんでした。それらはハロプロファンの中では少数派の意見にすぎなかったみたいです。
そしてその結果様々な暴言を受けるはめにもなりました。
だからと言って、オレは自分の本心をねじ曲げたコトを書く気にはなれませんし、不器用なので自分の本心を書くコトしか出来ません。
もちろんその本心が「みんなの賛同を得られる」文章となれば良いのですが、人それぞれ考えがあるのでそう簡単にはいかないモノだと思っています。


オレはW(ダブルユー)というユニットを組んでいた辻希美のソロとしての活躍を、加護亜依がいなくても何事もなかったかのように展開されるハロプロ界の身近に感じられる例として取り上げています。
そしてオレはその活躍を素直に受け入れられません。それは何度も書いたように、辻希美がソロで活躍すればする程「加護亜依が帰る場所がなくなってしまうのでは…」「加護亜依はこのまま復帰出来ないのではないだろうか…」といった大きな不安に襲われてしまうからです。
だからといって辻希美のソロ活動を否定するつもりはありません。こうなってしまった以上は当然の成り行きだと理解しています。でも理解したところで感情までは簡単に割り切れないものですし、そこにある加護亜依ファンとしての感情は偽るコトは出来ません。


ハロプロという括りで考えるとは加護亜依のファンはほんの一握りにすぎません。そして今回の一件のようなシビアな問題の当事者となってしまった加護亜依ファンの気持ちは、それ以外のメンバーのファンの人が簡単に想像がつくようなコトではないと思います。
オレ自身、あの安倍なつみの一件の時に彼女のファンの気持ちを出来るだけ考えようとしましたが、当事者でないが故に想像もつかなかったコトがありましたし、言われて気付くコトもありました。そして当事者となって初めて気付いたコトもありました。
だからこそ、この場には「大好きな人を目の前から失った当事者」としての素直な本心を書いていきたいし、ここを訪れて頂いている方々にはハロプロファンの片隅にこういった気持ちのファンがいるコトを知って貰いたいという思いがあります。それが「みんなの賛同を得られる」ような文章でなかったとしても「大好きな人を目の前から失った当事者」として本心を書き続けていきたいと思います。
それが加護亜依ファンとしてのエゴのように思われれたとしても構いません。オレにとって彼女はそれくらいかけがえのない存在です。