遠いハワイの地でドキドキいている予定だった今日、ハワイツアーの為に申請してていたパスポートをようやく受取りに行きました。
ハワイツアー中止によって急いで取りに行く必要もなくなってしまい「必要ないのに平日に無理して取りに行くかよ!」などとヒネクレ根性剥き出しなオレは1ヶ月以上も放置していました。ですがオレ名義の大事なモノだしそろそろ取りに行った方がイイかも…とヒネクレが不安に変わったので今日取りに行くコトにしました。ってか日曜日も受取窓口がやってるってコトが分かったのが昨日だったんですよね…。
春を思わせるポカポカ陽気の中、車に乗り込みいざ出発したのですが車内が思いのほか暑い。運転しながらドアの所に付いている窓を開けるスイッチを手探りで探し押してみると、窓は開かずに「ガシャ!」っていう大きな音が車内に響きました。
聞き慣れない音にちょこっとビックリしてしまいましたが、どうやら窓開けスイッチの側にある運手席から全席のドアロックをする為のボタンを押してしまったらしいです。
オレは運転中ドアロックをしません。
今はどうだか知りませんが、オレが教習所に通っている時は運転中はドアロックをするように習いました。教習所で車に乗る時は教え込まれた通り必ずドアロックしてましたし、それを怠った時には注意された記憶があります。テキストに書いてあるような運転者の憶えておくべき「常識」っぽいコトだったのだと思います。
初心者の時はその教えに何の疑いもなくドアロックをしていたのですが、ある日テレビで元F1レーサーの中嶋悟さんが「ドアロックはしない方が良い。何故なら事故を起こした時ドアロックがかかっていると外からスグに救出するコトが出来ないから」みたいなコトを言っていたので運転中にドアロックするのをやめました。
教え込まれた「常識」よりも自分の命の方が遙かに大切ですからね。
もちろん何をするか分からない小さな子供などが乗っている時はドアロックをした方がイイと思いますよ。でも大事なのドアロックをするコトを「常識」とするのではなく、それが何の為にあるのかを臨機応変に考えて利用するコトだと思います。
なのでオレや大人しか乗ってない時は、自分達の命を守る為にドアロックをしません。
つまりは教習所で習った「交通ルール」を破っているワケです。
交通事故の加害者となる可能性のあるスピード違反や飲酒運転などの危険運転は罰則が設けられた「交通ルール」となっています。むやみに人を傷付けたり命を奪ったりする可能性があるので交通社会に必要な「ルール」だと思いますし守るように心がけています。
ですが、自分の命や幼い命を守るシートベルトやチャイルドシートまでもが罰則が設けられ「交通ルール」の一つになってしまっています。何が大切か分かっていれば、こんな守ろうが破ろうが人様に迷惑をかけるコトのない「ルール」はいらないのにね。


それでは未成年者がタバコを吸ってはいけないという「社会ルール」は何の為にあるのでしょうか?
社会が有害性のあるタバコから未成年者を守る為に作った「ルール」だというコトは分かりますが、それにも関わらずタバコを吸った未成年者が「ルール」を作った社会から守られていません。
芸能人が社会の模範となるという「常識」は、ホントに「常識」なのでしょうか?
芸能人という身近ではない人間を模範とさせて、自分が模範となるのを放棄した「非常識」な大人が作り出した偽りの「常識」のような気がしてなりません。
この「ルール」は何の為にあるのか?
この「常識」は何の為にあるのか?
彼女のしたコトを只単に「ルール」「常識」に基づいた方程式に従って「悪」と決めつるのではなく、その方程式の基礎となっている「ルール」「常識」をもっと深くを考えて「加護亜依がタバコを吸った事実」と向き合って欲しいモノです。
そうすれば「加護亜依がタバコを吸った事実」を「悪」としてしまう「ルール」「常識」に疑念が沸いてくると思います。
そして彼女こそが、その「ルール」「常識」を構築した歪んだ「社会正義」の被害者だというコトに気付くハズです。

だから彼女が「かわいそう」で社会正義が「クソったれ!」なんです。