横浜市営地下鉄が全席優先席になるらしい。
数日前、仕事中に聴いていたラジオで耳にした話題なのですが、リスナーから寄せられた意見などの大多数は「素晴らしい」といった類の意見でした。
確かに全座席が優先的の必要な方々が座れる優先席になるのだから社会的には素晴らしいルールですよね。でもオレはなんとも複雑な気持ちになりました。別に座りにくくなったとかいう意味じゃないですよ。オレは横浜市営地下鉄を利用するコトは滅多にありませんからね。
なんちゅうかコレって「お年寄りや体の不自由な人、妊婦さんなどに席を譲りましょう」という「優しい行為」を全席優先席化によって「正しい行為」としてルールとしてしまったような気がするんですよね。
こんなコトがルールとなってしまっては、席を譲るという「優しい行為」が単なるルールに従った「正しい行為」になってしまいますよ。それでは人を思いやる心がどんどん薄くなってしまいますよ。「優しい行為」をするという思いやりのある心はルールなどで養うモノではありませんよ。
そもそもみんなが思いやりのある心を持っていれば優先席なんてモノ自体が必要ないんですよ。何でもかんでもルールにすればイイってもんではないですよ。
にも関わらず全席優先席というルールを作らなければならないってのは、歪んだ社会の一つの例なのかもしれません。淋しい話だね…。


「あなたが人をむやみに傷付けないのはなぜですか?ルールだからですか?」
「あなたが人の物を盗んだりしないのはなぜですか?ルールだからですか?」
「あなたが道端にゴミを捨てないのはなぜですか?ルールだからですか?」
そんなコトはないですよね。
あなたがルールだから従うといった「正しい人」なんかではなく、思いやりの心を持った「優しい人」だからですよね。


「それでは、みんなが未成年者の喫煙を悪いと言うのはなぜですか?ルールだからですか?」


オレには只単にルールに従って「悪い」と言っているだけにしか思えません。
そんなんじゃルールに従うだけの「正しい人」なだけで、決して「優しい人」ではありませんよ。「優しい人」が歪んだ社会にコミットする為に「正しい人」になる必要はありませんよ。
「正しい人」が多い世の中よりも愛のある「優しい人」が多い世の中の方が、人々にとって笑顔絶え間ない素敵な世の中になるに決まってるよ。


オレは以前(2/12)も書いたようにルールに従う「正しい人」ではなく、思いやりのある「優しい人」になりたいです。

明日もあなたの笑顔が見たいから
今日も優しい人になろう
「U+U=W 辻希美+加護亜依」あとがきより