ふと遠い昔のコトを思い出した。
オレは小学校の頃、少年野球のチームに入っていました。巨人の星の影響を受けたかのような熱血コーチ達のスパルタな指導を余儀なくされていたので毎週憂鬱な気分で日曜日を迎えていたのですが、熱血コーチ達の隙を見てはチームメイトとバカなコトをして楽しんでいました。少年野球をやってて少年イッシィが学んだのはスポーツを通して身に付く根性などではなく、大人の目を盗んで怠けたりする小ズルさだけだったかもw
そんな少年野球でも夏休みになると河川敷にあるグランドに市内の少年野球チームが一同に介する夏の大会がありました。それは住む世界の狭い小学生にとっては、高校球児にとっての夏の甲子園ばりの一大イベントでした。なんてったて地元新聞にちっちゃくでも参加チームのメンバーの名前が乗っちゃうんだゼ。大事件でしたよ。
そして小学6年生の夏休みにも例年通り夏の大会があったのですが、運良くと言うのか悪くと言うのか、大会の初戦で試合をする羽目になりました。とは言ってもトーナメント式の大会なので河川敷に複数あるグランドで初戦が同時に数試合行われたんですけどね。
少年イッシィは足が平均よりちょっと速いだけだったにも関わらず1番バッターを任されていました。関係ないけどポジションはサード。「1番サード」って響きってなんかカッケーよね。
んでもってウチのチームが先攻だったのでトップバッターとしてバッタボックスに入りマウンドを見ると、相手投手の隣りに見知らぬオッサンが。どうやらそれぞれのグランドで始球式が行われるコトになっていたらしいです。
そんなイベントがあるなんて誰からも聞いてなかったオレは、その大人が投げた山なりのボールを当然のように空振りをしてその場を首尾良くやり過ごしました。
始球式などを経験したコトのない少年イッシィにとっては、知らずに刷り込まれた情報により当然のように空振りするのが「常識」だったっんですよね。
えっと何が言いたいかって?実はこっからが本題。
こんなコトを思い出していたら、知らずに刷り込まれちゃってる「常識」って実はたくさんあって、その「常識」が知らないウチに人にイヤな思いをさせてたらイヤだなぁなんて思ったんですよね。
もちろん少年イッシィが知らずに刷り込まれていた「常識」だったら人にイヤな思いをさせるなんてコトはないと思うけど、身近なのだと学校や会社などで目上の人間に意見したり逆らったりするのは御法度みたいな縦社会の「常識」があるよね。例え自分の意見が正論であっても理不尽にイヤな思いをさせられてしまったりね。
そして今のオレは「未成年アイドルが喫煙するコトは罪」「喫煙した未成年アイドルは謹慎・引退すべき」などという「常識」によってイヤな思いをしている。
「常識」は時に人を傷付ける凶器にもなりかねない。それが知らずに刷り込まれている「常識」だったらなおさらタチが悪いし恐ろしいコトでもあります。いやそんなのは決して「常識」なんかではありません。
かく言うオレも自分で「常識」だと思い込んでしまっているコトがホントに「常識」なのかどうかなんて分かっていません。でも、せめて「常識」だと思って物事を語る時くらいは、それがホントに「常識」なのかどうかをチョコットだけでも考えてみたいと思います。

【常識】 ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力

ある社会というのが、すべての人々にとって住み心地の良い社会だったらいいのになぁ。